過去を直視し、未来を共に生きるための
国際会議「南京を想い起こす」

南京の悲劇70周年記念
2007年11月21日から24日まで
中国南京市、南京師範大学にて

 この会議は、異なった戦争体験と教育を受けた、日本人、中国人、およびほかの国の人々が、
日中戦争と南京の悲劇について、心を開き、互いの声を深く聴くことを目的とします。
日本、中国、その他の国々からの参加者が、70年前の戦争の生存者の話を聞き、
殺害の行われた地を訪れ、黙想の時を過ごし、全員で、時には小グループに分かれて
思いを分かち合います。
歴史解釈の多様性を考慮し、会議としての統一的歴史解釈は行わず、次の二つを基本原則として、
参加者個人がそれぞれの見解、感情を表現することを奨励します。

1.自分が知らないことがあるという事実を受け入れる。つまり、自分の固定した考え、意見、
  および見解をいったん脇に置いて、様々な見解に心を開いてみる。
2.相手の心情に、まずは深く耳を傾ける。


    

日程

11月21日(水) 到着、受付、説明会
11月22日(木)

午前9時
午前10時
午前11時
午後12時
午後2時
午後4時
午後6時
午後7時30分
午後9時

南京師範大学南山賓館

中国歴史学者による概要説明(張連紅先生他)
生存者証言
「なぜ戦争体験に耳を傾けるのか」
昼食
抗日戦争記念館訪問
中華門(南京市内)見学
夕食
出席者の意見、心情交換
解散

11月23日(金)午前9時
午前10時30分
午後12時
午後2時
午後4時

午後6時
午後7時30分
午後9時

下関記念碑 慰霊祭(黙祷と献花)
殺戮場所訪問昼食
昼食
関連芸術展訪問
日中女性シンポジュウム「日中戦争と南京の悲劇」司会:ジョアン・ハリファックス博士
パネリスト:小田まゆみ、村本邦子
夕食
参加者の意見、心情交換
解散

11月24日(土)
午前
午後12時
午後1時30分

午後6時
午後7時30分
午後9時

自由時間
昼食
国際学術シンポジュウムに参加(笠原十九司先生他)
南京事件70周年国際シンポジウム in 南京

晩餐
参加者の意見、心情交換
解散
11月25日(日)
午前9時

午後12時
午後1時30分


午後7時
午後9時

国際学術シンポジュウムに参加(笠原十九司先生他)
南京事件70周年国際シンポジウム in 南京

昼食
鎮魂のための朗読と芝居
「地獄DECEMBER−哀しみの南京
作・構成・演出・出演  渡辺義治・横井量子」
会場: 南京師範大学講堂(旧金陵女子文理学院)
夕食
会議終了

11月26日(月) 出発、または追加行事に参加

公用語:  日本語、中国語、英語(同時通訳)
会議参加: 国籍、見解に関わりなく、歓迎します。
無料参加: 慰霊祭(黙祷と献花)
公開:   日中女性シンポジュウム「日中戦争と南京の悲劇」
(全体の行程とは別に参加される方は前売り券が必要です。)
全体参加費:   2万8千円 (学生1万4千円)
交通・宿泊施設: 旅行社を紹介します。       
主催    南京友好基金南京本部(会長、南京師範大学 張連紅教授)
協催「こころとからだで歴史を考える」実行委員会
   南京師範大学南京大虐殺研究所
   A World Without Armies

参加費の振り込み先:郵便振替口座
口座名称 こころとからだで歴史を考える会
口座番号 00900-4-299031

会議参加と宿泊のお申し込みは、同時にできます。お申し込みはこちらから。


歴史解釈の多様性と、複雑な政治情勢を考慮し、会議としての見解発表はしません。
参加者個人が見解、感情の表現することを、奨励します。

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南京の悲劇についての歴史教育資料:
 
日本の教科書、1
 
1937(昭和12)年7月7日夜、北京郊外の盧溝橋で、演習していた日本軍に向けて何者かが発砲する事件がおこった。翌朝には、中国の国民党軍との間で戦闘状態になった(盧溝橋事件)。現地解決がはかられたが、やがて日本側も大規模な派兵を命じ、国民党政府もただちに動員令を発した。以後8年間にわたって日中戦争が継続した。
同年8月、外国の権益が集中する上海で、二人の日本人将兵が射殺される事件がおこり、これをきっかけに日中間の全面戦争が始まった。日本軍は国民党政府の首都南京を落とせば蒋介石は降伏すると考え、12月、南京を占領した(このとき、日本軍によって民衆にも多数の死傷者が出た。南京事件)。しかし、蒋介石は重慶に首都を移し、抗戦を続けた。
【注】この東京裁判では、日本軍が1937(昭和12)年、日中戦争で南京を占領したとき、多数の中国人民衆を殺害したと認定した( 南京事件)。なお、この事件の実態については資料の上で疑問点も出され、さまざまな見解があり、今日でも論争が続いている。 
新しい歴史教科書、西尾幹二ほか、東京、扶桑社、2001年
 
日本の教科書、2
 
7月7日、北平(北京)郊外の盧溝橋で日中両軍が衝突する事件が発生した(盧溝橋事件)。現地では停戦がいちおう成立したが、このさい中国に一撃を加えて抗日運動を屈服させ、華北の資源・市場を獲得しようとの意図から、近衛内閣は派兵を決定し、「北支事変」と称した。戦火は8月には上海に拡大し(第2次上海事変)、9月には「支那事変」と改称され、宣戦布告のないまま日本は中国に対する全面的な侵略戦争に突入した(日中戦争)。
一撃で中国は屈服するであろうという日本の予想に反し、抗日民族統一戦線を結成した中国の抵抗は強力であった。日本は大軍を投入し、12月、国民党政府の首都南京を占領した。そのさい、日本軍は投降兵・捕虜をはじめ中国人多数を殺害し、略奪・放火・暴行をおこない、南京大虐殺として国際的な非難をあびた。死者の数は戦闘員を含めて、占領前後の数週間で少なくとも10数万人に達したと推定される。
日本史B、直木孝次郎、東京、実教出版、1998年
 
中国の教科書
 
盧溝橋事件のあと、日本軍は大量の援軍を送り、北京、天津、上海、その他の地に大規模な攻撃を仕掛けた。日本は軍事力に依存し、すみやかに戦闘をして勝利し、三ヶ月以内に中国を滅亡させようとした。この中華民族存亡の危機に際して、全国の人民は一致団結し、中国近代史上空前の規模の全民族反侵略戦争を展開した。...
1937年12月、日本軍は南京を占領した。この後、日本軍は、人々を集めて射殺、焼き殺し、生き埋め、斬殺、軍犬による咬殺などの残忍な手段で、南京市民や投降兵を虐殺し、惨絶な人類の悲劇、すなわち南京大虐殺を引き起こした。...
統計によれば、日本軍は、南京占領後の6週間以内に、身に寸鉄も帯びない南京住民と武器を捨てた中国兵士30万人以上を虐殺した。南京大虐殺は、日本の侵略者たちが中華民族に対して犯した最も重大な犯罪の一つである。
歴史、8学年、上巻、北京、北京師範大学、2001年